ギスカジカというペンネームをつけている理由をお話します。
この魚がとても好きなんです。
1 初釣りの思い出
自分が初めて釣りをした日のことは,今でも鮮明に覚えています。
小学校1年生の秋でした。
近所の防波堤に穴釣りに行ったのです。
穴釣りとは,テトラポッドや岩の隙間を「穴」と見立て,ここに隠れている魚を釣ろうとする釣りです。
穴に上手にえさを入れて釣るのですが,防波堤とはいえ海です。
波にゆられて根掛かりすることが多く,1年生には難しい釣りでした。
おぼつかない手つきでサンマの切り身を針に付け,そおっと穴に落としてやりました。
今来るか,今来るかと待ちましたが,なんの応答もなく,小一時間ほど過ぎました。大物がかかるかもという期待はすでに失せ,ぼおっと竿先の見つめていました。
もうあきたのですね。
海は初心者を温かく迎えるつもりはなかったようです。
釣り上げるどころか当たりすらありませんでした。
何度も場所を替えた末,ごく浅い狭い穴にえさを入れた時のことです。
ぐぐんと,誰かが急に糸を引っ張ったかのような強い手応えがありました。
手製の竹竿が弓なりにしなりました。
夢中で竿を振り上げると,大きな魚が自分に向かって飛んできました。
これが魚釣りの初体験です。
釣り上げた魚がギスカジカだと話はきれいなのですが,実は違います。
30センチ足らずのソイでした。
ソイはメバルの仲間で,岩礁をすみかとしています。
白身でくせがなく,煮付けやお吸い物にすると,とてもおいしい魚です。
うれしくてうれしくとしょうがありませんでした。
誰かにいっしょに喜んでもらいたくて,いそいで家に帰りました。
家に帰ると母がとても喜びました。
私は釣り上げただけで有頂天となったのですが,母は食材として喜んだようです。
いずれにせよ,いっしょに喜ぶ人が現れたことで,わたしの気持ちは相当高まりました。
釣りは私の一生の趣味になっていますが,この初体験での刷り込みが大きく影響していることはまちがいありません。
2 ギスカジカってこんな魚
それからもずいぶん釣りはしました。
でも,ギスカジカとの出会いはもっともっと後のことです。
私は,小学校高学年になっていました。
初釣りとはちがって,釣り上げた時の様子はまったく覚えていません。
印象に残るほどのことではなく普段通りに釣り上げたのでしょう。
しかし,釣り上げた魚のことはよく覚えています。
とてもとても印象的だったからです。
浅瀬の岩そっくりに擬態した模様,ものすごく大きな口というか大きな頭,ほんと比率がおかしいというくらい大きいのです。
それなのに,これまたびっくりするくらい小さな体。
そして,ざらざらした歯とまん丸いつぶらな瞳。
とっても変な魚だと思いました。
いろいろありますが一番変なのはは,頭と体の縮尺です。
2等身とか3等身とかのマンガのキャラってありますよね。
それの魚版,しかもリアル,といった感じでした。
そこから必然的に思い浮かんだのは,料理しても食べるところ少ない,ということでした。
よくよく見つめた後,海に帰したのもむりがないでしょう。
持ち帰る価値はなさそうだったのですから。
でも分からないもので,家に帰って話したところ,おいしい魚と教えられました。
魚も見た目によりません。
ギスカジカはめったに釣れる魚ではありませんでした。
この時を含めて3回ほどしか出会ってないと思います。
3 ギスカジカと自分
さて,ギスカジカをペンネームにしているのは,この魚のこけおどしな感じがどことなく自分の内面と似ているからです。
前から見たら,まさに怪魚です。
大きな口,岩のような模様,そこかしこにぎざぎざのある顔,小魚からみたら恐怖そのものでしょう。
しかし,後ろに回って見れば,本当に細くて小さな体,この頭を運べるのかという小さなひれ,恐怖はどこかに消えてしまいます。
拍子抜けもいいところ,出落ちみたいな魚です。
でもその姿は,虚勢を張って,実力以上に見せようと背伸びしていたかつての自分にように思えてなりません。
むりするなよ,と声をかけたくなります。
そのくせ,よく見ればかわいらしい魚でもあります。
「ギスカジカ」のようにして生きてきた自分ですが,晩年を迎えるにあたって身の丈に合った自然体で生きていきたいと思うようになりました。
そういう思いからこのペンネームにしているのです。
プロフィールの写真はカサゴです。
嘘もウソ,詐欺ですね。
誤解を生まないよういつかギスカジカにしたいと思っているのですが,釣りがへたなのもあるのでしょう,なかなか姿を現してくれません。
何もないとさびしいので,取りあえずカサゴにしていますが,1日も早く取り替えたいと思っています。
|