1 本作の概要
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青春小説でした。
どんな話かというと、アイデンティティの確立です。
自分の本心を打ち明けられない高校生、茜寧(あかね)が感動した小説になぞらえて新たな自分を獲得しようとする道程を描いています。
視点人物を切り替えながら描写していく手法をとっているので、ちょっと読みにくいです。
こういう手法は群像劇によくあるのですが、これは群像劇でもありません。
まあ強いていえば、もう一人自己を変容させる人はいるのですけれど。
思春期について、いろいろと考えさせられる本でした。
2 仮面と社会生活
あいさつは何のためにするのか?
別に小学生向けの訓示をしたいわけではありません。
自分はあやしいものではありませんよ。
敵ではありませんよ。
とまあ、こういう社会的な機能をもっていると分析されています。
それはそうでしょう。
というわけで、あいさつというとてもハードルの低いところから始めるとわかりやすいと思うのですが、人間誰しも100%真実の心理状態を開示しているわけではありません。
というか、そんな人いないでしょう。
というわけで、自分は真の姿を偽っている、演技している、という思春期の人は多いのですが、それが普通です。
これは、問題の定義がまちがっていると思うのですね。
つまり、真の自分ではなく、ありたい自分の姿を現していないと。
こういうことだと思うのです。
ですが、ありたい自分が他人に受け入れられるとは限りません。
それに、偽っているとして、自分に利があるから偽っているわけです。
そういうことと、「純粋」ということをごちゃごちゃにして考えても、いい結果にはなりません。
この茜寧という主人公は、思春期の危機にあるとは思いますが、少し冷静に考えてみる方がいいと思いました。
思春期の危機というのは、思春期は他の時期と比べてささいと思える理由で自殺することがあるのです。
なので、親身に話を聞いてあげる人が必要です。
3 物語の解釈
大槻ケンヂがエッセイで書いていました。
時々、文学な人からファンレターが届くと。
それは、筋肉少女隊のある曲が自分に向けられているものだということ。
自分と大槻は精神的につながっているという内容だったりすると。
文章の、というか世の中の事象全部そうなんですが、解釈の範囲はどこまでも広がるものです。
問題は、その解釈に共感できるかどうかです。
いっちゃってる人は…、もちろん共感できないわけです。
それで、本作の主人公茜寧の「少女のマーチ」の主人公を自分と解釈します。そこでその相手役であった「あい」という人物とそっくりの人に出会ったと思い込みます。
このそっくりさん非常に人のいい方で、この話につきあってあげてます。
後に、「少女のマーチ」を読んで、その人物が自分とまったく似ていないことに気づきますが。
似ているというのも茜寧の解釈だったわけですね。
当然、主人公が似ているというのも自分がそう思っているだけということ。
それで、茜寧のアイデンティティは揺らぐのですけれど。
これ、自分が何者かでありたいという一般的な欲求の1バージョンです。
大人になっても、そういう社会的欲求から逃れられない人はいますが、思春期には多いです。
このお話もそういう話の一つです。
題名「腹を割ったら血が出るだけさ」っていうのは、本音を言ったらってことなのかなあ。
もっと、茜寧の変容や自己認識などが、ドラマチックだったらとは思いますが、凡百な印象でした。
4 総評
独特の雰囲気を持っているので、それにはまる人はいるでしょう。
食レポでいえば「好きな人にはたまらないでしょうねえ」ってやつです。
ということは、正直にいうと、わたしはつまらなかったです。
成長する青春小説なら、もっと書きようがあったし、題材もどうかなあと思いました。
「君の膵臓をたべたい」「また、同じ夢を見ていた」はおもしろかったので、他の作品に期待します。
ファンの方向けの1冊というところです。