共感覚というものを初めて知りました。
50数年生きてきて、そんな感じ方があったなんて驚きです。
世界は広い。
自分は何も知らないに等しい。
何歳になっても初心者です。
今回読んだのは、長く変わったタイトルの本です。
「1は赤い。そして世界は緑と青でできている。」
ひねって詩的に表現しているのではなく、実はそのまんまの意味のタイトルなんです。
では、内容にふれながら感想を述べていきます。
さて、とにもかくにも共感覚です。
一体どんな感覚なのか。
それは、本来知覚するはずのないものを同時に知覚している感覚なんです。
いろいろなケースがあるそうですが、筆者の場合は文字に色が着いてくるのだそうです。
いや、色の着いた文字ではありません。
黒い普通に印刷された文字に色が着いてくるのです。
1は赤、2はピンク、3は緑、4は青。
こんな感じです。
本人にとってはそれが普通、というか生まれつきなので他人もそう見えていると思っていたとのことです。
私には分かりません。
読書すると疲れそうな気がしますし、吹き替えじゃない映画はついていけないんじゃないかと思います。
この感覚にも長所と短所があるそうです。
長所は、色が目印になって記憶がよくなること。
九九を暗記するのがとても速かったそうです。
また、小学1年生の最初の座席、誰がどこに座っていたか、を性格に思い出せるのだそうです。
本人の記憶力もたいしたものだとは思いますが、記憶術でいうところの「場所の方法」と同じでしょう。
「場所の方法」とは、覚えるべきものを空間に配置して記憶すると思い出しやすいという方法です。
一方、短所は自分が認識している色以外の色を文字に当てはめられると混乱するのだそうです。
1組は紅組というのは、多くの学校でそうなっていますから問題ないでしょう。
2組は白組です。
ピンク組ではありません。
4クラスまであると、3組が黄色、4組が青となっていたりします。
そうするともう覚えられないのだそうです。
幼稚園の時、鍵盤ハーモニカに色シールを貼って教えられたそうです。
赤押さえて、次は青押さえて。
階名が覚えられない幼児のための手法でしょう。
しかし、筆者にとってはドの色、レの色はもう決まっているのです。
他の色が指定されるともう混乱してしまうのだとか。
また、日本史も苦労した科目だったそうです。
有名は一族は、親の字を引き継いだりして、少し似た名前になりがちです。
そうすると、全部同じ色になってしまい区別が難しくなるのだそうです。
源氏将軍はみんなピンクだったのだそうです。
さて、あなたと私が同じ色の世界を見ているかどうかを確かめる方法はない、という認知の客観性の問題は昔から取り上げられる話題です。
しかし、本当にこうも違う世界を見ている人がいるとは驚きでした。
こういうことが、新たな創造性を生み出すこともあるでしょうし、かってあったことと思います。
目新しい表現が本人には普通だった。
そんなこともきっとあったことでしょう。
人間って、まだまだ不思議な存在ですね。