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「感情」について考えた

1 はじめに

 心理学って学問ほど,実際の研究とイメージが離れているものはないんじゃないでしょうか。
 なんとなく人の感情が分かるとか自己分析が進むとか,そんなイメージがあるような気がします。
 でも,実際にしているのは,記憶の研究だったりアンケートの分析だったりします。
 私も少し心理学をかじってたのですが,統計分析が大変でこれで心理が分かるの?って思ってました。
 さて,今は進んだのかもしれませんが私が学んだ頃の心理学で比較的研究が進んでいなかったのが感情の領域でした。
 今回は,その感情について少し考えます。

2 「感情」の印象

 感情的っていわれていい印象はないと思います。
 少しヒステリックになっているという感じです。
 でも,感情豊かっていうといいイメージがありますね。
 人間味にあふれるっていうか,そんな感じです。
 感情豊かな人は人間味にあふれるとか。
 人情があるとか。
 そんな感じです。
 何か妙ですよね。
 これって,どういうこと何でしょう?
 理も法もなく当たり散らすような感情はよくないし,感動して涙流すのはとてもよい。
 しかし,どちらも感情がなせる技です。
 感情にもよいものと悪いものがある。
 そういう単純なまとめをすると,じゃあどこで善悪分けるの?と思います。
 結局,その感情に共感できるかどうかなのでしょうか。
 なんか判断基準も「感情的」なような感じがします。

3 仏教にとっての「感情」

 高校の倫理・社会で仏教を学んだときのことです。
 一切の執着を捨てよ。
 それが生老病死から逃れ,悟りへ至る道である。
 まあ本当の仏教徒からしたら間違った理解だといわれるかもしれませんが,このようなことを学びました。
 それを聞いた私の感想は,非人間になりそうだなあでした。
 つまり,誰かを愛したり,どうしてもほしい宝物があったり,それをなくして悲しんだり,不正に激怒したり,そういうことはやめなさいといわれているように思ったのです。
 つまり,感情を動かさなければ幸せだよ,と。
 まあ,宗教的には感情の基となる認識を変えなさいよということなのかもしれません。
 さて,今は真の仏教の教えがどうかはさておきます。
 私に論ずるだけの何物もありませんし。
 目下の問題は感情です。
 感情が動かない,またはない方が幸せである。
 これって,否定できない説得力があるんですね。
 そうかもしれないと思うのです。
 特に,とっても感情的になった後に。
 そこまで考えると,次に疑問がわいてきます。

4 感情はなぜ存在するのか

 どうしてなんでしょう。
 進化論的に考えると,感情を持っていたものが適者生存してきた。
 そういえるのかもしれません。
 つまり,怒りの感情を持つものがいざという時に生き残るための大きな力を発揮できた。
 悲しみや笑いを表現するものが多くの共感を集め,たくさんの助けを得られた。
 怖がるものが,慎重に行動することができた。
 そういうことが考えられます。
 まあ,タイムマシンでもできない限り証明できませんけど。
 ある意味,論理的に正しい判断をするためには膨大な時間がかかる際に,簡単に行動を決定するために役立つものだったのかもしれません。
 とすれば,ある場合にある感情が起きることが多いのは,種としての経験則だからってことになるのでしょう。
 経験則かあ。
 研究が進まないのもなんとなく分かります。
 でもここまで考えると,感情的なのは生物的には正しいのかなと思います。

5 最後に

 私も初老になって思うのは,感情の発露は控えた方がよいということです。
 もちろん,情感豊かな人を見るのは好きですよ。
 感情的なやつ当たりは大嫌いですけど。
 やっぱり社会生活を円滑に送るには,感情を抑えた方が無難だなあと思います。
 感情をあらわにして損したこともありますから。
 生物的には意味があったのだけど,現代社会では必要性が薄れたのかもしれません。
 やっぱり非人間的な方が幸せなのかなあ。
 「最後に」を書いているのですが,どうもうまくまとまりません。
 論理的結論に気持ちが納得していないのかなあ。
 それもまた感情的ですけどね。