童話は子ども向けに書かれた物語です。
でも,中には,これは子ども向けではない,大人向きだ,と思えるものがあります。
大人がよいと思っているところと子どもが喜んでいるところがまったくちがっている,そんな童話です。
ある意味,高い価値をもっているともいえます。でも,正しく理解されているとはいえないでしょう。
今回はそのような物語の一つ,3年生の教科書に載っている「サーカスのライオン」について話します。
1 老齢の主人公
主人公は老齢のサーカスのライオンです。日常生活にくたびれています。
思い出すのは,若いころのことばかり。日々の仕事はルーティンで,熱意も何もありません。
そんな時,ファンの少年と出会います。その子との交流で生活に張りが出てきました。
ある日,その子の家が火事になりました。逃げ遅れたその子を助けるため炎に飛び込む主人公。
少年は助かりますが,主人公は犠牲となります。
すっごく簡単にいうと,こんなお話です。
この主人公が少年を助けたのは,思いやりでも自己犠牲でもないでしょう。
生きがいです。
生活にくたびれた者が自分を再び奮い立たせるものを見つけた,この価値に殉じたのだと思います。
でも,この価値って,小学3年生に分かるでしょうか?
2 実感としての理解
子どもは,子どもが助かってよかったとか,ライオンえらい,かわいそうなどが普通の理解だと思うのです。
大人が物語の仕組みをしっかりと読み取らせ,主人公に寄り添ってその心情を理解させたとしましょう。
でも,その理解って,頭で何とか理解できたというレベルではないでしょうか。
年老いた老主人公の心情というものを,実感をもって分かったといえるレベルではないと思います。
そして,それが自然だと思うのです。
何かを理解する時には,必ず経験が必要であるということを述べているのではありません。
人間には想像力がありますから,自分の経験を超えて理解することができます。
まあでも,誰かの感情を理解する際には,それに近い経験をしていれば理解は容易だと思います。
この場合,少年と老人でしかも生きがいという想像で理解するにしても隔たりが大きすぎると思うのです。
人生をはじめたばかりの子どもに,人生に飽きている老齢の人物の気持ちが実感をもって理解できるのでしょうか。
ちょっと哲学的な問題ではあります。
3 同床異夢と相互理解
大人が子どもに与える物語の中には,こういうものがたまにあります。
与えたいものがストレートだと,子どもはおもしろがらないでしょう。
子どもも楽しめて,なおかつ大人がが与えたいものがある物語。
「サーカスのライオン」そんな物語です。
見方によってまったく違って見える絵を「だまし絵」といいます。
「サーカスのライオン」は,まるでそのだまし絵のような物語です。
子どもが楽しむ点と大人が価値を感じる点は一致しません。
とはいっても,無理に一致させることはないように思います。
一致させるような読みは,おそらくとっても楽しくない読みでしょうから。
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