1 はじめに
カメラが売れていないそうです。
スマホで写真を撮る方が多いためだそうです。
分かる気がします。
コンパクトカメラと2台持ちは,大変ですから。
私はフィルムカメラに凝ったことがあります。
その思い出について話します。
2 断捨離の過程で
細々と断捨離を続けています。
昔使っていた一眼レフを手に取りました。
開けようとするとショックなことが。
革のケースがひび割れて,というかもう裂けていたのです。
乾燥のせいですね。
ワックスでも塗っておけばよかった。
後悔先に立たずです。
残念ながら捨てました。
カメラは,そのままです。
20年以上シャッターをきっていません。
電池は抜いたままです。
ちょっと見つめてしまいました。
キャノンAE1プログラム。
学生の頃に手に入れたカメラです。
3 カメラを手に入れた
学生の頃,長い休みに貧乏旅行をしていました。
今でもあるそうですが,青春18切符。
確か5枚つづりでした。
これを友達と分けて使っていました。
同じ方面に行ったこともあるし,違うところに向かったこともあります。
訪れた先にスナップ写真を撮るために手に入れたのです。
実は写真に凝っていた一つ上の先輩の影響です。
コンパクトカメラではなく,一眼レフに憧れを持ちました。
それで,手に入れたのです。
今ならネットで購入でしょうが,店舗に赴きました。
ちょっと高級そうな店です。
そのころ,ヨドバシとかの大型店は新宿にはありましたが,地方都市には進出はしていませんでした。
敷居の高そうな店でした。
貧乏くさい学生が来たのに,年配の店員は親切でした。
キャノンとニコンのAEカメラをすすめました。
オートフォーカスはα7000だけでした。
まだ出たばかりで高価で買えません。
当然AEカメラをすすめられます。
でも,今考えるとこの店員は,貧乏学生に安物ではなくきちんとしたカメラをすすめていたと思います。
どちらもいいカメラでした。
良心的な方だったのです。
私は,比較して安いキャノンを購入しました。
使い易いいいカメラですよ。
店員さんはそう話しながら袋に入れてくれました。
カメラの特徴なんてなんにも知りませんでした。
4 シャッター優先プログラム
AE1プログラムは,露出の決め方が独特でした。
シャッター優先プログラムといいます。
今のAFカメラにもついていると思いますが,マニアしか気にしないと思います。
仕組みを知らない方に説明しますと,これは露出つまりフィルムに当てる光の量の決め方のことなんです。
当て過ぎると白くとんだ写真になり,少なすぎると暗くて何が写っているか分かりません。
適切な光の量を決めるのに絞りとシャッタースピードを操ります。
シャッタースピードを遅くしすぎるとぶれます。
しぼりはレンズを通る光の太さです。
細いと広範囲にピントが合ったように見えます。
逆に背景とかをぼかしたいときは,太くするわけです。
適切な光の量は決まっているわけですから,どちらかを決めればどちらかが来ます。
で,キャノンはシャッターを最初に決めているというわけです。
シャッターが最初だからシャッター優先。
キャノン以外は,ほぼしぼり優先でした。
しぼりをコントロールする方が芸術的だ。
そんな雰囲気がありました。
キャノンは,使いやすさを優先してシャッタースピードから決めたといわれています。
ぶれない速度をまず決める。
これがとても実用的でした。
でも,これ光の量は決まっているので,現実にはどっちを優先しても結果はたいして変わらないんですけどね。
とはいっても,ブレを防ぎやすいキャノンの方が露出を考えやすいし使いやすいと思います。
たぶん何ですけど,機械的にしぼりをコントロールする方がシャッタースピードをコントロールするより難しかったんだと思います。
しぼりは本体ではなく交換レンズにありますから。
そのため技術があるキャノン以外は,シャッター速度優先を使った。
そんなメーカー側の理由がほんとのところでしょう。
で,芸術うんぬんは後から付いた売るための理由と思います。
今思えば,そんなところが真実だったと思います。
しかし,シャッター優先プログラムのAE1プログラムは優秀でした。
私でも十分使いこなせましたから。
そしてこのカメラのよいところは,見た目がかっこよかったことです。
5 できあがるまでの楽しみ
カラーフィルムでスナップを撮っていたので,お店でプリントしていました。
白黒の人は自分で焼いていましたし,大学にそういう講習もあったんですが受けませんでした。
当時は,プリント安かったですね。
で,できあがるまで時間があります。
この間,なんとなく不安なんです。
プリントされた写真を見て初めて,よかったダメだったと分かります。
不便ですね。
でも,お店から受け取った袋から写真を取り出すワクワク感がよかったなあ。
そういう楽しみがありました。
6 最後に
このカメラは北海道から九州まで持ち歩きました。
学生時代に旅行した時,必ずお供にしました。
そのくらい使ったカメラです。
でも,今後このカメラで写真を撮ることはないと思います。
もしミラーレス一眼を買えばレンズは使えるでしょう。
でも,本体は使わないと思います。
何よりフィルムを使うことのハードルが上がりすぎました。
思い出の品ですが,私にとっての役割は終わりました。
いつかどこかで売って,誰かに使ってもらおう。
そう思って,棚にもどしました。
見れば,若かった頃の自分とともに思い出が蘇ってはくるのですけれど。