1 40年前の歌
「大きな玉ねぎの下で」という本を見つけました。
興味がわきました。
題名はたぶん偶然の一致ではないでしょう。
爆風スランプの歌からとったはずです。
あの曲には、思い出があります。
1985年の曲。
大学生でした。
2 アンダーグラウンドなバンド
爆風スランプは紛う事なきコミック・バンドでした。
「週刊東京少女A」という中森明菜の楽曲と千葉県を風刺した歌でデビュー。
宮城県の片田舎出身のわたしに笑えるところはなかったものの、おもしろそうな人たちだという感じました。
「夜のヒット・スタジオ」出演時にスタジオのあちこちを動き回って歌う様を見たとき、ああ楽しそうだなと思いました。
今思えば演出だったのでしょう。
バンドを印象づけるために番組が考えたのかもしれません。
しかし、そんなことに気づかぬわたしは、いいなあと思ったのです。
冷静に見れば、「学生の悪ふざけ」に過ぎません。
しかし、それがよかった。
正面切って反抗できないけど、権威を茶化して相対化する。
そういう姿に自分を重ね合わせ、ささやかな自己肯定を感じていたのだと思います。
だから、彼らが武道館でコンサートをすると聞いた時、あまりのミスマッチに驚きました。
一流のバンドではなく、変わり種として注目を浴び、一部のマニアからこそこそと支持されている。
そんなバンドが、日本で一番権威のあるコンサート会場、あのビートルズが演奏した武道館で演奏するなんて。
世も末だと思ったものです。
3 武道館で演奏するというプレッシャー
さて、夢ではあったものの武道館で演奏するというのは、バンドにとってプレッシャーだったようです。
「嗚呼!武道館」という浮かれた12inchのシングルをだしかと思えば「大きな玉ねぎの下で」です。
サンプラザさんが自分でいっていますが、「大きな玉ねぎの下で」の歌詞は、武道館で空席が目立った時の言い訳です。
つまりチケットは売れたけど、事情があって欠席した人がいる。
それをロマンチックな歌にしたんです。
いい歌になりすぎたというようなこともいっていましたが、この歌の出自はコミックバンドの自嘲なんです。
セカンドアルバムに入っていたこの曲を聴いた時は、いい歌だと思いましたがアルバムのバランスを取るために入っているバラードぐらいの認識でした。
プレッシャーから始まった偶然によって生まれた曲。
この曲はそんな曲です。
4 爆風スランプの音楽性
さて、歌詞のコミック性はおいておくとして、爆風スランプの音楽性とは何でしょう。
メインのソング・ライターは、パッパラー河合のようです。
案外、外部ライターも多い。
だけれど、聴けば分かりますが、パッパラーの歌謡曲ロックとリズム隊二人のファンクロックに別れてます。
そして、どっちかといえば、歌謡曲ロックの方が知られている感じですね。
有名なRunnerは末吉さんの曲ですけどね。
パッパラーさんの演奏を聴けば分かりますが、カッティングというかコード・ストローク中心の伴奏で、なんというか、ニュー・ミュージックっぽさが残ってます。
同じくコミックバンドとして世に出た聖飢魔Ⅱが、HMを基調としていたのとは、かなり違います。
ロックバンドとしての個性というほどのものはない。
いや、否定してないですよ。それでもいい曲は作れますし、作ってますし。
演奏面でロックっぽくないってだけです。
では、リズム隊はどうか。
これは日本人っぽくなく黒っぽいリズムです。
特にベースの江川ほーじん。
スラップ奏法(当時はチョッパー奏法)で弾くベースはとにかくはねる。
ほーじんさんは、典型的な8ビートのRunnerでも、スラップで弾いてますからね。
非常に個性的でした。
ただ。
ファンクな調子で売れた曲がないんで、世間的には認識されてないと思います。
そもそもヴォーカルが歌謡曲調ですから、ファンクと合わないんじゃないかなあ。
とにもかくにも、ファンク要素が強い歌謡曲ロック、それにおふざけ歌詞が乗る。
それが爆風スランプでした。
5 ペンフレンドの恋、という設定
文通って文化、確かにありました。
あったんですよ。
手紙をやりとりするというコミュニケーション。
よくマンガなどの題材にもなりました。
マンガ雑誌で文通希望なんてコーナーもあったと思います。
昭和末期ですね。
しかし。
しかしですね。
わたしの周りでしてる人知らなかったし、なんか別世界の文化のような感じがしてましたね。
まあ、マンガとかで取り上げられる文通は、だいたい同じでしたね。
本作と同じです。
相手によく思われたくてウソをつく。
そして、バレるもしくはバレるのが嫌で会わない。
写真は美人の友達のものを送る。
スポーツが得意と伝える。
そんなところかなあ。
そして、相手を美化して恋に落ちる。
定番ですね。
この曲の歌詞が受け入れられたのは、こういう文通といえば、というステレオタイプがみんなのどこかにあったからだと思うのです。
陳腐だ。
目新しさはない。
そう言えるし、過言ではないでしょう。
ですが、ですね。
みんなこういう状況を経験したかったんですよ。
身近な悲劇の主人公。
そんな青春を送りたかった。
そういう思いがこの曲への共感を生んでいるんだと思います。
いわば、こういう青い純粋な失敗がしたかったんです。
青春だし、その年齢しか経験できないでしょう。
年齢を重ねても、セピア色の思い出として振りかえることができる。
宝物ですよね。
6 なぜ今
なぜ今、映画になったんでしょうか。
SNSでも自分を欺瞞するのは文通と変わらない。
そんなところが取り上げられたのかもしれません。
とりあえず、本の方は読んでみます。
それで書評を書いてみます。
もし本がよかったら、映画も見てみようかな。
とまで考えて、自分はマーケティングに釣られた中高年なのかもしれない。
そんなことが頭に浮かびましたが、まあ、釣られてもいいかと考え直しました。
思い出に浸りたい時もありますからね。

