1 サラ金の歴史
2021年初版で2022年新書大賞を受賞しています。
サラ金のCMは、一時期TVで見ない日はありませんでした。
しかし、2006年の改正貸金業法以降は目立つのは過払い金返還請求のCMです。
銀行の一部になってしまい、すっかり目立たなくなった印象です。
しかし、本書を読むと無担保個人融資という業態は、長い歴史があって、様々な変化を経ていまの状態になったことがわかります。
本書で印象に残ったことは、この3つです
- いつの時代にも借りたい人はいる
- 借金はする方も貸す方も感情労働
- 透明化と地下化
順番に述べていきます。
2 いつの時代も借りたい人はいる
サラ金というか高利貸しの問題は、金貸しが悪いんだとなりがちです。
それこそベニスの商人の頃からそうです。
極悪非道の悪党。
そういうイメージってあります。
なので悪党を懲らしめれば解決。
一件落着。
となればいいのですが、そうはならないんですね。
借りる人がいるから貸す人もいる。
双方の事情があるわけです。
そういう意味では契約だし、あるいは商売だし、ルールの問題のように感じます。
戦前は、知り合いに貸す個人間の借金でした。
個人間で利子を取るなんて、と思うかもしれません。
これは、金貸しが使用人に「知り合いで借りるやつはいないか」と手数料を払って探させていたのだそうです。
つまりは、知り合いという信用をお金に換えていたという話。
そこから、団地金融、個人金融と進んで、現在のサラ金となったそうです。
ここからわかることは、いつの時代でも収入以上に消費したい層はいるということです。
もちろん、遊興費なのか生活費なのかではずいぶんちがってきますけれども。
いつの時代にも金を借りたい人はいるんですね。
だから、金貸しを根絶やしにしようなんて、大きなまちがいです。
3 借金はする方も貸す方も感情労働
鬼のような取り立て!
2000年代までは、このような実態がワイドショーや週刊誌をにぎわすことがありました。
無担保個人融資のサラ金にも1970年代後半から団体信用生命保険が掛けられるようになりました。
住宅ローンを借りると必ず入れられるあれです。
サラ金で借りた時も入れられているんです。
なので、最後は保険金で、という非情な取り立てもあったのだそうです。
もちろん威力を用いての取り立ては禁止されています。
しかし、サラ金本体も景気が悪くなれば取り立てなければならない。
というわけで、法律の目をくぐりあの手この手で取り立てるわけです。
そうする中で、自分が担当した借り手が命を…ということも起きます。
そうすれば取り立て側の感情も平常ではいられません。
感情を制御し、本心とちがう態度で働くことを感情労働といいます。
とてつもなくストレスがかかります。
取り立てられている方はもちろんですが、取り立てる方も無事ではすまない。
現場の非人間的な営みの上に業務が遂行されていたことがわかりました。
4 透明化と地下化
2006年の改正貸金業法以降、無理な貸し付けはできなくなりました。
それ以後、サラ金が社会問題化することは少なくなり、落ち着いているように見えます。
このようにルールが明解になり、業務が透明化していくことはよいことだと思います。
しかし、借金を収入の3割に抑えるという法律ができても、それ以上に金を借りたい人はいます。
いつの時代にも金を借りたい人はいるのですから。
そうするとどうなるか。
地下にもぐりにますね。
というわけでヤミ金に借りる人が出てくるわけです。
また、先祖返りしたように個人間の借金が増えているという話もあります。
そして、今はクレジットカードの使いすぎやキャッシング。
透明化して問題解決、と簡単にはいかないようです。
4 総評
個人への無担保少額融資というサラ金の歴史には、学ぶところが多くありました。
踏み倒しされないような相手に踏み倒されないような額を融資するというサラ金の金融技能は、銀行その他が持ち得ない高度な技術に発展したとのことです。
個々の技術について書かれた本ではありませんが、本書で垣間見えるその技術はすごいものだと思います。
どこに目をつけて信用するか。
人間理解の深みがありました。
また、単純に悪と言い切れない貸金業の世界。
適正であれば、助かる人、助かった人も確かにいたのです。
ある種のセーフティーネットとして機能するという悲しい現実もありました。
そして、一歩まちがえば、貸す側借りる側双方が人間性を失いかねない業務。
ある種の人間の本質がそこにあるように思います。
このような一言で言い切れない多面的な存在ではあります。
しかしながら,一個人として思うことは一つです。
絶対に借金をしてはならない。
前向きであろうが、後ろ向きであろうが関係ありません。
お金を勉強し、家計を管理する技術を身につけないと。
そう固く思いました。