ギスカブログ

 読書しながらスモールライフ「ギスカジカ」のブログ

問題を抱えた子に適した子育て法

 発育上の問題がある子供の指導法についての本を読みました。

 「PCITから学ぶ子育て」という本です。

 PCITとはペアレント・チャイルド・インタラクション・セラピー,つまり親子交流療法の頭文字です。

 どういった療法なのか。

 本を読んでの交流を交えながら述べていきます。

 さて,冒頭で著者は権威的・暴力的なしつけを否定します。

 例として「巨人の星」の星一徹を出してきます。

 実例を出すと問題があるのでしょうが,古いです。

 現代の虐待と一徹のスパルタは,様々な点で相違があると思います。

 まあ,暴力に訴えることがあるという点は確かに共通しますが。

 そして,暴力的な虐待を受けた人間は前頭前野が萎縮しているとの説明をします。

 これはちょっと勇み足かもしれません。

 相関関係があるというだけです。

 元々前頭前野の発達に課題ある人がいうことをきかないので暴力でしつけられた可能性もありますし。

 もっと広範な調査をしないとどっちが原因かいえないと思います。

 さて,暴力的なしつけはもちろん否定されるべきです。

 そこで,筆者はPCITを提案してくるのですね。

 これは,毎日5分間,特別な時間を親子で過ごすという方法です。

 どんな過ごし方をするのか。

 こんな感じです。

 これは遊戯療法の一種で,子供と親が一緒に遊びます。

 何をするかは子供が決めます。

 子供主導で行うのです。

 ここで親はいくつかのルールに従います。

 三つのDo'ntスキルと五つのDoスキルです。

 禁止されているのは何か。

 ①命令しない(提案もしない)

 ②質問しない

 ③批判しない(意見をいわない)

 この三つです。

 主体を子供におくためですね。

 推奨されている五つは何か。

 ①賞賛する(ほめる理由を明確に)

 ②繰り返す(子供の言葉を)

 ③まねをする

 ④行動の説明をする(子供の行動を口頭で説明する)

 ⑤楽しむ(演技でも明るく)

 このように過ごすことで子供の主体性を発揮させます。

 1日5分をしばらく続けてきたらしつけを取り入れていきます。

 しつけには八つのルールがあります。

 ①直接的に命令形で

 ②肯定的な言葉で

 ③1回に1つ

 ④具体的に

 ⑤発達年齢を考えて

 ⑥ふつうの声で(大声を出さない)

 ⑦前後に説明(理由を理解させる)

 ⑧必要なときだけ

 そしていうことをきかない時はタイムアウトを使います。

 時間を決めた出場停止ですね。

 場所を決めて,一定時間そこにいさせます。

 大まかな説明になりましたが,以上がPCITの概要です。

 2歳から7歳の子供に有効な方法と著者は述べます。

 しかし,子供との適切な関係を築くスタイルと考えると,もっと大きくなっても有効ではないかと思いました。

 日本は感動ものが好まれる傾向があり,教育系のドラマなどでは高ぶらせた感情をぶつけることで人を動かすという場面が多く見られます。

 ドラマだけじゃなく現実もこれが多いように思います。

 でも,実はそれじゃうまくいかないんですね。

 感情を高ぶらせた相手の気持ちが理解できるようであれば,その人はほんとに困ってないと思います。

 三つのDo'ntスキルと五つのDoスキルは,日常のコミュニケーションでは行わない人工的なコミュニケーションです。

 しかし,そのように制御された方法だからこそ有効なのでしょう。

 こういう具体的なプログラムがもっと開発されて普及するとよいと思います。

 「話せば分かる」は,話して分かる人にしか効きませんから。

 

 

介護認定の見直しと人間生活に必要なもの

 母の介護認定の見直しがありました。

 母はこれまで要介護認定5でした。

 5というのは,最も重い段階です。

 これ以上はありません。

 どうしてそうなったか?

 肺炎で入院したことが,そもそもの原因です。

 1か月ほど救急救命のある病院に入院しました。

 寝たきりでチューブで栄養を摂取していました。

 コロナ禍まっただ中でしたので面会もなし。

 元々引っ込み思案なこともあり,看護師との意思疎通もうまくいかなかったようです。

 チューブが気になるのか何度も抜こうとしたそうです。

 そして,いうこともあまりきかないと。

 こういうことで,痴呆も進んだと判断され,要介護5となったのでした。

 その後,地元の病院に移送されここでも1か月ちょっと入院。

 歩行器使用で歩いたり,箸で食事ができるようになり退院。

 しかし,迎えに行った時はあまりしゃべりませんでした。

 どうも無口が習慣になったようです。

 自宅で介護を続けたところ,入院前とはいかないもののたいぶ話せるようになってきました。

 父と会話することが刺激になったのだと思います。

 相変わらず歩行器利用ですが,体重も重いので仕方のないところです。

 それで,介護保険の見直しがあり福祉の職員と面談しました。

 トイレ,入浴は介助が必要で,長距離は歩けません。

 生活習慣病もあるので通院は続いています。

 そんな状態を見取り,要介護認定2となりました。

 私は3ぐらいかなと思ったのですが,専門家でもありませんし特に申し立てはしません。

 1週間に1度通所サービスを利用しているのと,ベッドや歩行器他をレンタルしているのですが,これも介護保険の限度額まで使ったことはありません。

 なので,家計的な問題もありません。

 介護保険の認定は,定期的に見直されるのでまた重い判定になることもあるでしょう。

 入院時にお世話になったお医者さんが,こういうの(肺炎のこと)を繰り返して老衰が進んでいくと話していました。

 今は小休止といったところでしょう。

 ちょっとした病気で大きく変化するのが後期高齢者です。

 小休止が長く続くことを願います。

 さて,この経験から,人間にはコミュニケーションが必要なんだと思いました。

 家族との会話がなくなった母は,重い介護認定をいただきました。

 家族と会話をするようになった母は,やや軽い判定に変わりました。

 病院の方が施設が充実していましたが,会話のある自宅の方が健康にはよかったわけです。

 つくづく人間は社会的な動物だと思います。

 人間同士関係を持つのが必要なんですね。

 アドラーにいわせるとすべてのストレスは対人関係から生じるそうですけど。

「子の問題は実は親の問題」という感じの本

 「親子のカウンセリング教室」という本を読みました。

 これはカウンセリングの事例集です。

 カウンセリングで子供の問題が解決した事例が18載っています。

 カウンセリングの事例の本はあるようでありません。

 なので勉強になりました。

 読後の感想を述べます。

 18の事例があるんですが,基本の構造は一緒です。

 学校などで社会生活を問題なく過ごせない子供がいます。

 問題の現れようは様々ですが,その問題で親が困って相談にきます。

 ここで親の人柄等が簡単に紹介されますが,その中で親子関係が円滑でない様子が語られます。

 子供は言語発達が未熟なので,箱庭療法か遊戯療法でカウンセリングをします。

 箱庭療法は,ジオラマ的なものを作る様子から内面を推察する治療法です。

 遊戯療法は,そのまま何かで遊ぶ様子から内面を推察する治療法です。

 このどちらかで子供の内面の満たされなさを理解します。

 そして,その満たされていないものを補うような関わりをすることで子供の問題はなくなります。

 加えて,親の課題もクリアされます。

 まあ,こんな感じです。

 一つの事例は10ページ足らずで紹介されています。

 つまりコンパクトにまとめられています。

 端的に紹介していることで分かりやすくなっています。

 しかし,あまりのきれいさに,いい事例だけ紹介したのかなあと思いました。

 実際のカウンセリングは,こんなに簡単ではないでしょう。

 子供の問題も単一の原因に帰属できるものばかりではないと思います。

 この本は,平成12年初版です。

 なので,当時はそれほど知られていなかったと思いますが,子供の社会生活上の問題には,発達障害が関係してくることが非常に多いです。

 なので,発達障害が原因の場合,原因の特定ができても解決への道のりは長くなる傾向にあります。

 まだ,家族の愛情,心理学的には愛着,の問題が原因の場合には,原因が分かっても大人の態度がなかなか変わらない,変われないので,これまた解決までの時間は短くありません。

 とまあ,現実にはこんなにこんなにうまく解決するばかりではないと思いました。

 では,ダメな本かというとそうではありません。

 なかなかよい本だと思いました。

 どこがよいかというと,私にはこの二つです。

 一つは,箱庭療法や遊戯療法の具体が分かったこと。

 もう一つは,カウンセリングの枠組みを具体的につかむことができたこと。

 つまり,私のようなカウンセリング初心者にはよい本だと思います。

 実際に子育てで悩んでいる方にとっていい本かどうかは,分かりません。

 何せ,子供は健全で,周囲の大人,特に親,に問題があるという事例ばかり載っていますから。

 読んで落ち込まなければいいのですが。

 

プーさん的マインドフルネス

 くまのプーさんは有名なディズニーのキャラクターです。

 やさしくお人好しです。

 このキャラクターの一日を使って、マインドフルネスを表現した本を読みました。

 「プーさんと一緒にマインドフルネス」という本です。

 おもろい試みと思いました。

 さて,童話のキャラクターで心理学の概念を説明できるのか。 

 読んで印象に残ったことを述べていきます。

 まずは,マインドフルネスについてです。

 以前読んだ本では,マインドフルネスは対象を見つめるというものでした。

 虚心坦懐に対象を見つめ,心に浮かんだことを記録していく。

 そんな手法と理解していました。

 しかし,プーさんはそのようなことをあまりしません。

 一日を楽しく過ごしているだけです。

 どういう点が,マインドフルネスなのか?

 キー・ワードになりそうな語句がありました。

 「マインドフルに生きる」

 これがその語句です。

 読後,この疑問を解決するため,マインドフルネスについて調べました。

 そもそもは,仏教の用語で八正道の正念,落ち着いた心の状態を表す言葉とのことです。

 哲学・宗教にありがちですが,この概念についても議論が交わされているとのことです。

 その議論に立ち入ると,いつまでも先に進めないので,今ここにあるものを見つめ,落ち着いた心の状態にあることとしましょう。

 プーさんは,その状態で一日を過ごしているということです。

 知人たちとのかかわり,散歩,日常のルーティーン。

 それぞれに,おそらくは心を乱す要因があったと思うのですが,プーさんは意に介さず過ごしていきます。

 今,ここを生きる。

 こういう説明もありましたが,今,ここを存分に生きているように感じました。

 対象を見つめるのから発展させて,自分の心を見つめる,心のありようを見つめる,自分が何にどう反応したかを見つめる。

 そういう風に過ごすことが,マインドフルに生きるということなのでしょう。

 平穏を取り戻す方法として有効と思われましたが,心理学・心理療法というよりは世俗的な宗教的実践のように感じました。

 いや,宗教というよりは仙人の生き方といった方が近いかもしれません。

 これをカウンセラーとして,クライアントに勧められるのか。

 難しいですね。

 自分が生きる指針としてなら,十分意味があるように思いますけれど。

 そもそもの仏教からは批判があると思いますが,対象をよく見て思い浮かんだことを記録していくというマインドフルネスは,ストレッサーをコントロールする意味において価値があると思っていました。

 その思いは今もあり,実際そうしてみてストレスを軽減した経験もあります。

 その遙か先にこのプーさんの生き方があるのでしょう。

 しかし,ここを目標にするのは実際的じゃないように思います。

 今ここにある対象を見つめながら生きていくのが今の自分に合っているように思います。

 彼方にはプーさんがいる。

 そう思って日々を生きていくようにします。

 この本ですが,さくっと読み進められますし,物語調で読みやすいですし,プーさんの生き方の解説も入りますので,読み物としても楽しめます。

 マインドフルネスに興味を持たれた方は,読んでみるといいと思います。

 

 

「かちんむかッぐさッ」という本

 また,おもしろい題名の本を読みました。

 「かちんむかッぐさッ」です。

 誰かの言葉が自分に向かったときの様子ですね。

 マンガの擬音としてもよく使われています。

 題材としては,人間関係です。

 これを神智学的見地から述べた本でした。

 印象に残ったことを述べていきます。

 総じてになりますが,題名ほど突飛な内容ではありませんでした。

 カウンセラーとしての経験を踏まえて,人間関係について述べた本です。

 題名から考えると,わき起こった怒りをどうするのかについて述べているように思えますが,そんなことはありません。

 怒りのピークは6秒みたいな話もなしです。

 述べているのは,怒りを感じた事例とどうして怒りを感じたかです。

 怒りの原因帰属も大切なんですが,できれば起きてしまった怒りをどうするか,どうやって怒りを抑えて人間関係を良好にするかをたくさん述べてほしかったです。

 さて,どんなときに怒りがでやすいかですが,筆者はこのように述べていました。

 自分が安全地帯にいるときに怒りや意地悪を出せる。

 これはなるほどですね。

 怒ることで自分が不利になる場合,人間は怒りません。

 正確にいえば,怒りの感情は生じるのですが,それを表に出すことはありません。

 それが人間です。

 逆にいえば,安全地帯はどこにもないと思えば,怒りを表すことはないのです。

 これはネットで問題になっている「匿名性の悪意」の問題でもあります。

 「ばれなければ」という考えをもつと,人間性の悪い面が出ます。

 別な言葉でいうと,人間関係がからまなければということです。

 これはほんとうによくないと思います。

 さて,匿名でなくとも怒りを表す場合があります。

 それを筆者は,おもしろい表現で表しました。

 「アンパン人間」と「ドーナツ人間」です。

 意味はこんな感じです。

 アンパン人間とは,栄養たっぷりのあんこをたっぷり与えられた人間です。

 この場合のあんことは,親の愛情です。

 そしてそこから自立できないでいる人間もいて,他者に多く依存してしまうのだそうです。

 怒りの原因帰属が他者となってしまい,適切な人間関係が得られないのだとか。

 一方ドーナツ人間とは,まん中にあんこがない人間です。

 他人からの愛情がなくとも自立している人間,そんなイメージです。

 これだけ読むとよい感じがするのですが,問題がある場合があります。

 それは,せかされて早く自立を促された場合です。

 たっぷりの愛情を与えられず自立したために,愛情を与えなかったものや他のたっぷりの愛情を与えられたものを恨みがちになるのです。

 こうなると適切な人間関係が気づけなくなります。

 理想的には,アンパン人間からドーナツ人間にうまく成長すればいいのですが,そうそううまくはいきません。

 なので大事なことは,自分が甘えがちな人間なのか恨みがちな人間なのかを知り,自分で対策をしていくことだと思います。

 また,アンパンにしてもドーナツにしても,自分以外の誰かに怒りの原因を求め,自分は正しいと考えていることに注意が必要です。

 正義を持つと感じるとき,人間は相手に苛烈になります。

 やはり原因は自分にある,自分にもある程度ある,と考えることが大切と思います。

 本書は,様々なところで発表された文章を集めて作られたそうです。

 そのためか,後半に進むにつれて散漫な印象を受けました。

 もう少し怒りと人間関係の関係について詳しく述べていただけたらと思いました。

 とはいえ,怒りの感情について様々な観点から述べられているので興味深く読むことができました。

 読後,怒りを感じている自分を理解することが一番大切であると感じました。

 

 

「めんどくさい人」になりたくない

 何ともストレートな題名の本を読みました。

 「『めんどくさい』の取り扱い方法」というタイトルです。

 私はどちらかといえば,自分が「めんどくさい人」と分類されないかと心配なタイプです。

 なので,そういう取り扱いをされないために気を付けよう,という気持ちで読みました。

 特に印象に残ったことを述べます。

 総じて印象に残ったことは,この本の著者は,人間をそんなに悪いものと思っていないということです。

 「めんどくさい」という語感から,どうやって避けるかということが中心となり,ほんとこういう人ってめんどくさいですね,関わりたくないですね,という論調かと思ったのです。

 そうでもありませんでした。

 こういう人は,こうだからこう対応しましょうという感じで,総じて「めんどくさい」人に理解があるのです。

 性善説というほどではありませんが,好意的に見ていることが多いので,読んでいて好感が持てました。

 まあでも,めんどくさいことはめんどくさいので一つ一つ対応策が書いてあります。

 これが端的で分かり易くていいですね。

 例えば,「忙しいのにえんえんとムダ話をしてくる人」には,「話が途切れる瞬間をつくり,すかさずその場を離れましょう」です。

 上手にできるかどうかは分かりませんが,確かにこういう対策が有効な気がします。

 さて,自分自身が気を付けなければいけないと感じたところはこんなところです。

 「いつも機嫌が悪く,威圧的な上司」

 若干部下もいますので,こうならないように気を付けています。

 これに対する対策はこうです。

 「尊敬していなくても尊敬しているふりをする。その方があなたのストレスを減らします」

 なるほど,やたら褒められだしたら,疎まれているんだなと感じた方がよさそうです。

 もう一つあげるとこんなのも気になりました。

 「口を開けば不平不満ばかりを言う人」

 やっぱり仕事なので,ぐちっぽくなるのです。

 自分でも直そうとしているのですが,つい口からこぼれてしまいます。

 それに対する対策はこうです。

 「不満ばかり言う人と一緒にいると伝染します。

 グチを言い始めたら,まったく違う話題に変えてしまいましょう」

 なるほど,相手が話題を変え始めたら,聞きたくない話をしているんだなと自覚します。

 著者は心理学を修めた人なので,根拠がないということはないと思います。

 全部の対策がうまくいくとは限りませんし,うまくできる人うまくできない人がいるとは思いますが,こういうことを知っておくことはいいと思いました。

 純粋に読み物としても楽しかったです。

 

 

奇跡のサードマンってこんな人

 心理学の棚で心理学っぽくない本を見つけました。

 「奇跡の生還へ導く人」というタイトルです。

 すごく落ち込んでいる人を助けるカウンセラーの話かと思いました。

 とんでもない勘違い。

 もっと神秘的な話でした。

 内容にふれながら感想を述べたいと思います。

 奇跡の生還へ導く人を「サードマン」といいます。

 第三の人という意味でしょうか。

 どういうことか分かりません。

 実は,冒険や災害,戦争などで絶体絶命の状況に陥った時に表れる人です。

 実在できるはずもない状況で表れ,窮地に陥っている人を励まし,助かる道を指し示す。

 そういう人,というか存在です。

 不思議ですよね。

 筆者は,この「サードマン」の事例をたくさん集めています。

 そして,どんな存在なのかを明らかにしようとしました。

 サードマンに会った人の中には守護天使と考えた人もいますし,霊と考えた人もいます。

 共通していることは自分を助けるものだという認識です。

 こわい存在ではないんです。

 この存在がどんな時に現れるかをさらに具体的に調べました。

 分かったことは,単調で刺激に乏しいとき,他と隔絶されたとき,そして強いストレスにされされているときだそうです。

 このことから脳が見せる幻覚と考える人もいるそうです。

 それにしても,多くの場合,命を助けるような働きをするのはなぜなのでしょう。

 少々つらい話をすれば,サードマン体験は助かった人の話から分かったことです。

 サードマンが現れても助からなかった人の話は聞けません。

 なので,必ず助かるものとも考えられないような気がします。

 それはさておき,助かるような助言をするのは潜在意識の中で助かりたいという思いが強いからなのでしょう。

 合理的にはそれ以外に考えられません。

 少なくとも私には。

 本書の中で,強い宗教体験もこれに類したものではないかという示唆があります。

 なるほどとは思います。

 極限の中で,命を助けられたとなれば信仰が強くなるのもうなずけます。

 宗教的,神秘的似解釈せず,人間の心の働きとして考えるのであれば,人間の心はどれだけ強いのだろうと思います。

 自分自身でコントロールできないところで,それでも自分を守ろうとする力や意志を発揮するのですから。

 サードマン現象は,人間の強さを表しているのかもしれません。

 さて,心理学の本を読もうとしてこの本を読んだのですが,ある意味人間の心の一面を考えることができて,よかったなあと思っています。

 この本が心理学の棚になかったらたぶん読むことはなかったでしょうし,サードマンという存在についても知ることがなかっただろうからです。

 でも,ジャンル違いはジャンル違いですね。

 とはいえドキュメンタリーでもないし,私が整理係だったとしてもどこに置くか悩むとは思います。